芥川龍之介『歯車』を題材に、物語の要約をイラスト化し、概要やあらすじ、印象的な引用文をたどりながら、作品解釈や考察を深めています。自作イラストで世界観を表現しているため、読むだけでなく“見る”楽しさも味わえる内容です。作品をすべて読む時間がない方にもおすすめの記事です。
概要×あらすじ×要約イラスト
『歯車』とは
著者:芥川龍之介 ジャンル:私小説的短編 発表:1927年(昭和2年)
背景:芥川が自死の直前に執筆した作品であり、心身の疲弊や幻覚体験が描かれている。
あらすじ
語り手は、日常の中で突如として幻視や幻聴に襲われる。視野に現れる「半透明の歯車」、コック部屋で感じた「地獄」、タンタルスやインフェルノの連想、さらには自分の影や二重身(ドッペルゲンガー)との遭遇…。現実と幻覚、理性と狂気が入り交じりながら、死の予感へと導かれていく。
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要約イラスト

探求×引用文×着想イラスト
歯車に登場する本一覧
本のタイトル @要約 引用文→語り手の感想
トルストイの 「Polikouchka」
@不器用だが正直な農奴ポリクーシカは、主人から初めて大事な仕事として「金を受け取りに行く」役目を任される。誇りを胸に果たそうとするが、不運に見舞われて命を落とし、使命も果たせず悲劇的な最期を迎える。
この小説の主人公は虚栄心や病的傾向や名誉心の入り交つた、複雑な性格の持ち主だつた。しかも彼の一生の悲喜劇は多少の修正を加へさへすれば、僕の一生のカリカテユアだつた。殊に彼の悲喜劇の中に運命の冷笑を感じるのは次第に僕を無気味にし出した。
ギリシャ神話
@混沌から世界が生まれる→神々の親子ゲンカで世代交代(ゼウスが覇権)→神々と人間が交流し、英雄たちが怪物や試練に挑む
偶然僕の読んだ一行は忽ち僕を打ちのめした。
「一番偉いツオイスの神でも復讐の神にはかなひません。……」
僕はこの本屋の店を後ろに人ごみの中を歩いて行つた。いつか曲り出した僕の背中に絶えず僕をつけ狙つてゐる復讐の神を感じながら。……
ストリントベルグ( ストリンドベリ)の「伝説」
@幻視体験を通じて「苦悩から信仰への道」を描いた告白録
僕の経験と大差のないことを書いたもの
フローベールの「マダム・ボヴアリイ (ボヴァリー夫人)」
@医師の妻エマは、恋愛小説や都会への憧れから平凡な結婚生活に不満を抱き、不倫や贅沢に走る。しかし理想は叶わず、借金に追い詰められて服毒自殺し、残された家族も破滅する。
畢竟(ひつきやう)僕自身も中産階級のムツシウ・ボヴアリイに外ならないのを感じた。……
「韓非子 寿陵余子」 ※韓非子ではなく荘子
@この若者は、流行していた「邯鄲(かんたん)の美しい歩き方」を学ぼうとしました。しかし、結局その歩き方を身につけられないまま、もともとの自分の歩き方(寿陵の歩み)すら忘れてしまい、蛇行匍匐して帰ってきたという話です。 =他人のまねをしようとして自分の良さまで失い、何も得られなくなる人
今日の僕は誰の目にも「寿陵余子」であるのに違ひなかつた。
「韓非子 屠竜の技 」※韓非子ではなく荘子
@楚(そ)の国のある人が「竜を殺す技」を学んだ。しかし現実には竜など存在しない。結局その技を活かす場がなく、無駄になってしまった。
「屠竜の技」=実際には役に立たない、空しい技術や知識を意味
竜を殺している騎士の顔が自分の敵に似ていて、この話を思い出した。
暗夜行路
@主人公 時任謙作 は、自分が両親の不義から生まれた子であると知り、大きな孤独と自己嫌悪を抱えます。結婚生活、仕事、人間関係を通して心の救済を求め、悩み続ける姿が描かれ、最後には自然と一体化して悟りの境地へと至ります。
主人公の精神的闘争は一々僕には痛切だつた。僕はこの主人公に比べると、どのくらゐ僕の阿呆だつたかを感じ、いつか涙を流してゐた。同時に又涙は僕の気もちにいつか平和を与へてゐた。が、それも長いことではなかつた。
テエヌの英吉利(イギリス)文学史
@詩人たちの生涯 彼等はいづれも不幸だつた。
僕はかう云ふ彼等の不幸に残酷な悪意に充ち満ちた歓びを感じずにはゐられなかつた。
メリメエの書簡集
@文学・政治・友情・恋愛をめぐる彼の率直で知的な言葉が記された、19世紀フランス文化を映す貴重な人間ドキュメント。
いつの間にか僕に生活力を与へてゐた。しかし僕は晩年のメリメエの新教徒になつてゐたことを知ると、俄にはかに仮面のかげにあるメリメエの顔を感じ出した。彼も亦やはり僕等のやうに暗やみの中を歩いてゐる一人だつた。
罪と罰 だったが開いたページには カラマゾフ兄弟
@父殺し事件を軸に、人間の罪・信仰・自由を描いた哲学的ドラマ
悪魔に苦しめられるイヴアンを描いた一節だつた。イヴアンを、ストリントベルグを、モオパスサンを、或はこの部屋にゐる僕自身を。……
レエン・コオトの幽霊と半透明の歯車が示す閃輝暗点【イラスト】
待合室のベンチにはレエン・コオトを着た男が一人ぼんやり外を眺めてゐた。僕は今聞いたばかりの幽霊の話を思ひ出した。

僕の視野のうちに妙なものを見つけ出した。妙なものを?――と云ふのは絶えずまはつてゐる半透明の歯車だつた。僕はかう云ふ経験を前にも何度か持ち合せてゐた。
歯車は次第に数を殖やし、半ば僕の視野を塞ふさいでしまふ、が、それも長いことではない、暫らくの後には消え失うせる代りに今度は頭痛を感じはじめる、――それはいつも同じことだつた。
私も一度だけ同じ経験があります。『歯車』の描写は閃輝暗点という片頭痛の前兆ではないかと思いました(調べたところ、その通りでした)。
私事で恐縮ですが、期待に応えられず時間に追われて苦しかった時期があり、テレビを見ていると突然右隅にギザギザしたモザイクのようなチカチカしたものが十分程度現れ、消えた直後に激しい頭痛で動けなくなり、30分後には嘔吐しました。動けないほどの頭痛は初めてで、横になっても痛みが強く眠れませんでした。
幸いその後一年経ちますが、閃輝暗点が現れたのはあの一度きりでした。あの感覚を何度も味わうのは耐えられません。以前この作品を読んだときは、精神的に弱っていて「歯車」という幻覚が見えたのだろう、くらいに思っていましたが、改めて読むと合点がいき、自分の読書の浅さを思い知りました。
芸術至上主義の影と「地獄変」の後悔
僕はあらゆる罪悪を犯してゐることを信じてゐた。しかも彼等は何かの機会に僕を先生と呼びつづけてゐた。僕はそこに僕を嘲あざける何ものかを感じずにはゐられなかつた。
何ものかを?――しかし僕の物質主義は神秘主義を拒絶せずにはゐられなかつた。僕はつい二三箇月前にも或小さい同人雑誌にかう云ふ言葉を発表してゐた。
――「僕は芸術的良心を始め、どう云ふ良心も持つてゐない。僕の持つてゐるのは神経だけである。」……
ここで想起されるのは『地獄変』の芸術至上主義。芸術のために人間の命さえ犠牲にする描写は、衝撃と読後に深い後味の悪さを残します。(好きです)芥川自身もこの作品を振り返り、創作の代償について後悔の念を抱いていたと伝えられています。
薔薇色の壁とナポレオンの「小さい島」【イラスト】

僕は一杯のココアを啜すすり、ふだんのやうに巻煙草をふかし出した。巻煙草の煙は薔薇色の壁へかすかに青い煙を立ちのぼらせて行つた。
この優しい色の調和もやはり僕には愉快だつた。けれども僕は暫らくの後、僕の左の壁にかけたナポレオンの肖像画を見つけ、そろそろ又不安を感じ出した。
ナポレオンはまだ学生だつた時、彼の地理のノオト・ブツクの最後に「セエント・ヘレナ、小さい島」と記してゐた。それは或は僕等の言ふやうに偶然だつたかも知れなかつた。
しかしナポレオン自身にさへ恐怖を呼び起したのは確かだつた。…… マホガニイまがひの椅子やテエブルの少しもあたりの薔薇色の壁と調和を保つてゐないことだつた。
ナポレオンの学生時代のノートに書いた「セント・ヘレナ、小さい島」という言葉。それが後年、自らの流刑地となる運命を予示していたかのように描かれます。
ミイラの女と復讐の神 【解釈】
僕はひとりこの汽車に乗り、両側に白い布を垂らした寝台の間を歩いて行つた。すると或寝台の上にミイラに近い裸体の女が一人こちらを向いて横になつてゐた。それは又僕の復讐の神、――或狂人の娘に違ひなかつた。
「ミイラに近い裸体の女」は、エロティシズムと死の不気味さを象徴しています。それが「復讐の神」と重なることで、語り手を苛む罪悪感や恐怖が女性の姿を借りて迫ってきます。
母子像と背徳の親和力
僕の向うには親子らしい男女が二人坐つてゐた。その息子は僕よりも若かつたものの、殆ど僕にそつくりだつた。のみならず彼等は恋人同志のやうに顔を近づけて話し合つてゐた。
僕は彼等を見てゐるうちに少くとも息子は性的にも母親に慰めを与へてゐることを意識してゐるのに気づき出した。それは僕にも覚えのある親和力の一例に違ひなかつた。同時に又現世を地獄にする或意志の一例にも違ひなかつた。
母子の姿が「恋人のよう」に描かれる場面。芥川がここで言う「親和力」とは、人を強く結びつける自然な引力…?しかしそれは愛情と同時に背徳や破滅をもたらすものでした。この二重性こそ、彼が感じていた「現世を地獄にする意志」の正体なのでしょうか?
影とドッペルゲンガーの不安 【解釈】
僕は久しぶりに鏡の前に立ち、まともに僕の影と向ひ合つた。僕の影も勿論微笑してゐた。僕はこの影を見つめてゐるうちに第二の僕のことを思ひ出した。第二の僕、――独逸(ドイツ)人の所謂いはゆる Doppelgaenger は仕合せにも僕自身に見えたことはなかつた。
しかし亜米利加アメリカの映画俳優になつたK君の夫人は第二の僕を帝劇の廊下に見かけてゐた。(僕は突然K君の夫人に「先達せんだつてはつい御挨拶もしませんで」と言はれ、当惑したことを覚えてゐる。)
芥川は晩年、作風が変化しました。影や「第二の自分」をめぐる描写は、二重人格や自己崩壊の予感を漂わせます。ドイツ語の「ドッペルゲンガー」は死の予兆ともされる存在であり、これを描いたことは彼の精神的危機を象徴しているように思われます。
老人との対話と十字架 【イラスト】

或東かぜの強い夜、(それは僕には善い徴
だつた。)
僕は地下室を抜けて往来へ出、或老人を尋ねることにした。彼は或聖書会社の屋根裏にたつた一人小使ひをしながら、祈祷や読書に精進
してゐた。
僕等は火鉢に手をかざしながら、壁にかけた十字架の下にいろいろのことを話し合つた。なぜ僕の母は発狂したか? なぜ僕の父の事業は失敗したか? なぜ又僕は罰せられたか?――それ等の秘密を知つてゐる彼は妙に厳
かな微笑を浮かべ、いつまでも僕の相手をした。
最後の苦痛と死の予感
妻はやつと顔を擡げ、無理に微笑して話しつづけた。
「どうもした訣ではないのですけれどもね、唯何だかお父さんが死んでしまひさうな気がしたものですから。……」
それは僕の一生の中でも最も恐しい経験だつた。――僕はもうこの先を書きつづける力を持つてゐない。かう云ふ気もちの中に生きてゐるのは何とも言はれない苦痛である。
誰か僕の眠つてゐるうちにそつと絞め殺してくれるものはないか?

  
  
  
  

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