小川未明 『赤い蝋燭と人魚 』について 、概要・あらすじをまとめ、作品解釈や探求を深めながら、自作のイラストで世界観を紹介しています。 物語の要約も含まれているため、作品をすべて読む時間がない方にもおすすめの記事です。
概要×あらすじ
『赤い蝋燭と人魚 』とは
小川未明による童話『赤い蝋燭と人魚』は、1921年(大正10年)に発表された作品です。
「日本のアンデルセン」とも呼ばれた小川未明は、幻想的で寓意に満ちた作品を多く残しましたが、その中でも特に有名で、現代においても文学教材や絵本として親しまれています。 物語は人魚と人間の関わりを通して、「欲望」「裏切り」「母子の愛」「運命」といった普遍的なテーマを描き出しています。
あらすじ
ある日、人魚は自らの赤ん坊を人間に託します。海で育てれば命の保証がなく、せめて陸の上で幸せに生きてほしいと願ったからでした。
赤ん坊を拾ったのは老夫婦。彼らはそれを「神様のお授け子」と信じ、大切に育てました。成長した人魚の娘は、蝋燭に絵を描く才能を発揮し、その美しい蝋燭は町で評判になります。
ところがある日、老夫婦は香具師(やし)にそそのかされ、ついには大金欲しさに娘を売ってしまいます。
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探求×引用文×着想イラスト
人魚の母が抱いた「人間への幻想」
子供から別れて、独りさびしく海の中に暮らすということは、この上もない悲しいことだけれど、子供が何処にいても、仕合せに暮らしてくれたなら、私の喜びは、それにましたことはない。
人間は、この世界の中で一番やさしいものだと聞いている。そして可哀そうな者や頼りない者は決していじめたり、苦しめたりすることはないと聞いている。一旦手附けたなら、決して、それを捨てないとも聞いている。
この文章を読んだ大人の読者は「そそそそんなことないよ…?」と思うのではないのでしょうか。
それでも人魚目線からすると、海の中は弱肉強食の戦場です。一見すると静謐で美しい世界ですが、 同類同士でさえ「食うか食われるか」が日常茶飯事。
 殺伐として、過酷で、リトルマーメイドのような「歌って踊ってみなハッピー」の世界なんて幻想にすぎません。
そして人間の世界は人情もあるけど欲深くて残酷な面もあります。互いが互いの世界に幻想を抱いている…母の願いと裏腹に、この選択は悲劇の引き金となりました。
老夫婦の決意と「異形を育てる覚悟」
「それは、まさしく神様のお授け子だから、大事にして育てなければ罰が当る」と、お爺さんも申しました。
拾った赤ん坊が魚の尾を持つ異形の存在と知りつつも、老夫婦は育てる決心をしました。
観音経の「無縁の大慈・同体の大悲」を体現するかのように、老夫婦は人魚を娘として迎えたのです。優しそうなおじいさんおばあさんで良かった~~~。
こうした「異形を養う」モチーフは日本の昔話にしばしば登場します。たとえば『鶴の恩返し』や『雪女』のように、異界の存在と人間が家族を結ぶ物語には、必ず「禁忌」や「裏切り」が潜んでいます。
人魚の娘と「赤い蝋燭の力」【イラスト】

娘は、赤い絵具で、白い蝋燭に、魚や、貝や、また海草のようなものを産れつき誰にも習ったのでないが上手に描きました。お爺さんは、それを見るとびっくりいたしました。
誰でも、その絵を見ると、蝋燭がほしくなるように、その絵には、不思議な力と美しさとが籠こもっていたのであります。
不安を煽る香具師の登場
「昔から人魚は、不吉なものとしてある。今のうちに手許から離さないと、きっと悪いことがある」と、誠しやかに申したのであります。
年より夫婦は、ついに香具師の言うことを信じてしまいました。それに大金になりますので、つい金に心を奪われて、娘を香具師に売ることに約束をきめてしまったのであります。
「昔から人魚は、不吉なものとしてある。今のうちに手許から離さないと、きっと悪いことがある」と、誠しやかに申したのであります。
年より夫婦は、ついに香具師の言うことを信じてしまいました。それに大金になりますので、つい金に心を奪われて、娘を香具師に売ることに約束をきめてしまったのであります。
母の影と「赤い蝋燭の呪い」 【イラスト】
お婆さんは、蝋燭の箱を出して女に見せました。その時、お婆さんはびっくりしました。
女の長い黒い頭髪かみがびっしょりと水に濡れて月の光に輝いていたからであります。
女は箱の中から、真赤な蝋燭を取り上げました。そして、じっとそれに見入っていましたが、やがて銭を払ってその赤い蝋燭を持って帰って行きました。

不思議なことに、赤い蝋燭が、山のお宮に点った晩は、どんなに天気がよくても忽ち大あらしになりました。それから、赤い蝋燭は、不吉ということになりました。蝋燭屋の年より夫婦は、神様の罰が当ったのだといって、それぎり蝋燭屋をやめてしまいました。
しかし、何処からともなく、誰が、お宮に上げるものか、毎晩、赤い蝋燭が点りました。昔は、このお宮にあがった絵の描いた蝋燭の燃えさしを持ってさえいれば、決して海の上では災難に罹らなかったものが、今度は、赤い蝋燭を見ただけでも、その者はきっと災難に罹って、海に溺れて死んだのであります。
やがて現れる黒髪の女は、本当の母なのでしょうか。それとも怨霊なのでしょうか。真相は語られないままです。
もし生きているのだとしたら、母娘の再会を願わずにはいられません。けれども、その後に町が滅びてしまったことを思えば、怨念の力があまりに強く、母と娘の両方がすでに亡くなっていた可能性も高いように思われます。
人間の世界に憧れながら、過酷な海で命を落とした母。海の世界に焦がれつつ、人間の薄情さに絶望して死んでいった娘。もしそうであるならば、別々に苦しむのではなく、せめて一緒に果てた方がどれほど幸せだったことでしょう。
その取り返しのつかない後悔と無念が、町をも壊滅させるほどの怨念となって現れたのか。あるいは、祈りが呪いへと反転し、これまで海から人々を守ってきた力が、今度はそのまま町へと返ってきたのかもしれません。
読後の変化×学び×まとめ
『赤い蝋燭と人魚』は、幻想的な童話でありながら、人間の欲望や恐れ、母の愛と怨念といった深淵を描き出しています。
仏教でいう「諸行無常」や「因果応報」の教えと響き合い、私たちに問いを投げかけます。

  
  
  
  

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